かつしかあるく #0 奥戸 

machi — タグ: , , , , , — takahashi @ 10:14 PM

半年ほどまえに、べつの場所で「東京の平坦な道」についてのブログをたちあげようとして、一本だけかいた記事です。結局それ一本しかかかずに、ブログのほうは削除してしまったので、少し文を修正して、こっちにアップしなおしました。なぜ「平坦な道」かというと、「東京の坂道」に関する本や文章はたくさんあって、東京は坂のまち、なんていわれるけど、低地そだちのわたしには全然ピンとこなかったからです。だったら東京の坂のないまちについてかこうとおもい、それだけをあつかったブログをたちあげようとしました。ということで、こっちにうつして、また機会をみて「東京の平坦な道」についてかいてければとおもっています。


「葛飾区奥戸(おくど)二丁目の平坦な道」

立石から奥戸街道を小岩方面にすすみ、中川にかかる奥戸大橋をわたったところに奥戸二丁目はあります。中川沿いの道はまわりの土地から高くもりあがっていて、低地にあってそこだけが割と急な「坂」をつくっています。

その「坂」をおりると平坦な土地に住宅と工場がたちならんでいて、平日の午後ということもあり人通りは多くありません。自転車で走っていてすれちがうのは、老人、学生(と おぼしき若者)、学校帰りの小学生くらいで、このまちに流れる時間のほとんどは「オフ」なのでしょう。このまちというか、住宅街なんていうのはおそらくどこも「オフ」で、そういったまちは「オン」のまちをかたることばとは、きっとべつのことばをつかわないとかたることができません。でもおおくの人はそんな一見退屈なふつうのまちにすんでいて、そのまちなみをリアルなものとしてからだは感じていて、だからこそもっとことばにしていいものだとおもいます。

葛飾区内のべつのまちでそだったわたしには、 奥戸のまちなみは、かなりの程度「ホーム」と感じられて、それはまちの景色としては、平坦さと工場のおおさからくるものもあるかもしれません。以前自転車で墨田区東墨田近辺を 散策したときも、両脇に工場がひろがる光景はなぜかすこしなきそうになるくらいに「ホーム」でした。工場からきこえるノイズや、ひくい屋根がひろがるまちなみ(荒川区東尾久出身の友だちにさえ「葛飾って空がひろい」といわれたくらい)は、まるでわたしのからだの一部と感じられるくらいに、身近です。

それを「下町」といってしまうと、わたしの感じているものとはちがうものになってしまいます。葛飾はべつに下町じゃないし、下町としてかたることばは、このまちの現在にとってリアルではありません。まだ 「ゼロメートル地帯」や「低地」のような、地形をあらわすことばでかたられる方が、このまちにそだったからだには、リアルにひびくような気がして、そんな自分のからだからこそ、もっとまちは考えられるはずだとおもうのです。まちはからだにあらわれるというか、からだはまちにあらわれるというか。

で、この道。

本当は写真をとりにいったときにみつけたべつの道について考えようとしていたのに、家にかえってきてから写真をみたらこの道の方がなぜか気になりました。その場でなにをおもってこの道をとったのかおぼえていないし、この道が奥戸二丁目のどこにあったのかすらよくおぼえていません。でも今みると、この道のほうがなんとなくしっくり感じられます(何がどうしっくりなのかもよくわからないけど)。「別の道」は中川土手に続く細い道で、両側に住宅と工場がならんでいて、途中で少しまがっているので、道の入り口からは直接土手はみえません。でも土手に通じる、川の気配みたいなものは、あります。近辺を散策していると、いつのまにか道が中川土手につづいていたりして、道によっては土手が奥に直接みえて、少し景色に風通し(水だけど)があたえられます。

この道の先にそういった風通しや、「ぬけ」みたいなものは感じられません。でもどこか気になってしまいます。気になるというか、自分の身近に感じることができる「平坦な道」のあるまちについて、ことばにしようと思いながらまだうまくことばにできないものが、この道のような道にあるからかもしれません。

かえりに奥戸一丁目の「鬼塚」(たかさ1mほどの、中世からあるとつたえられている塚)をみたあと、あまりに適当にうろうろしていたため方角がわからなくなり、気がつくと江戸川区の上一色まできてしまいました。心の準備なくはじめてのまちにくると、意外とうろたえます。


以上が、「東京の平坦な道」についての記事です。「町歩き」的なテレビ番組や文章って、そのほとんどが外側からの印象というか、それはそれでいいんですけど、やっぱり当事者としていだく違和感や、なんかちがうなあっていうきもちがつねにあって、そのむずがゆさをなんとかしたかったんです。中央の、つまり東京のメディアでとりあげられる「東京」って、あんまりその内側からはみていないような気がします(いわんやその他の地方をや) (( 初期の『モヤモヤさまぁ〜ず』(テレビ東京系)は、墨田区出身の二人のローカルな東京観にすごく共感できて、おもしろかったです。 脳内地図にかたよりがあったり、縁のあるまち以外はあまり知らなかったり、二人の身体は東京を内側からみています。その感覚のローカルさは全国ネットには貴重です。)) 。このあいだ読んだ『日本橋バビロン』(文芸春秋社、2007年)という本で、著者で現在の中央区東日本橋で生まれた小林信彦は、こうかいています。

改めて、生まれた町と家について書きたいと思い立ったのは、昭和の旧日本橋区を内側から描いた(原文傍点)書物が一冊もないからである。<日本橋>というと、三越、山本山、にんべんといった名店がならぶあの一帯と、人形町に軽く触れて終る。雑誌の<日本橋特集>というのは、そうしたものである。

かたられるのをまつだけでなく、縁のある土地について、もっと自分の記憶で、自分のことばでかたってみたっていいんじゃないでしょうか。ステレオタイプって(自分自身がいだいているものもふくめ)ろくなもんじゃないです。わたしたちのまわりは、もっといろいろなはずです。そして特別なまちじゃなくたって意外と、なんにもなくないもんです。またおりをみて、「東京の平坦な道」についてかいてみるつもりです。

ここはトウキョー

machi — タグ: , , , — takahashi @ 12:21 AM

半年くらいまえに、葛飾区亀有近辺でとった写真です。

ここが東京都内であることをわざわざ確認するかのように、「トウキョー」とかかれています。でもなぜか、「トウキョウ」でも「トーキョー」でもなく、「トウキョー」です。

しかもよく見ると右がわに落書きをけしたあとがあり、それもまた「トウキョー」とよめます。つまりいちどけされたにもかかわらず、またかいた ((葛飾区では「葛飾区きれいで清潔なまちをつくる条例」よって落書きが禁止されてます)) 。

なぜわざわざこのまちの一角の、それもめだたない低い塀に2度も、しかも縦書きで「トウキョー」とかかなければならなかったのか。なぜ「トウ」なのに「キョー」なのか。なにか微妙にずれています。

でもしばらくながめていると、その「ウ」と「ー」のまざりあいに、このまちの微妙さや曖昧さ、多様さがみえてくるようなきがしてきます。一見するとトウキョウだけど、よくみるとちょっとちがう。「ウ」と「ー」が同時にあるまち。東京的なものと、非東京的なもの。下町と田舎。そうかんがえると、なかなかこのまちにふさわしい落書きです ((念のためもう一度。葛飾区では条例で禁止されてます。個人的には、英国の落書きアーティストbanksyがかくような作品なら家の壁にかかれても全然歓迎ですけど。)) 。

まちできこえるおばちゃんの会話は、微妙になまっています。なぜならここは、トウキョーだから。

江戸川土手

machi — タグ: , , , , , , — takahashi @ 12:50 AM

京成線江戸川駅でおりて、江戸川土手へ。

「江戸川 →KECS!」

ちなみに映画『男はつらいよ』シリーズでおなじみのまち、葛飾区柴又は、江戸川駅のある江戸川区北小岩より3キロほど上流にあります。
川のむこうは千葉県。東京の東のはじのはじです。

江戸川について、先日図書館で見つけた『論集 江戸川』(「論集 江戸川」編集委員会編著, 崙書房出版, 2006)という本にはこう書いてあります。

江戸川は茨城県五霞町で利根川より分流し、千葉県と埼玉県・東京都の境を南下し東京湾に注ぐ全長役六〇キロメートルの河川である。現在では千葉県、埼玉県、東京都民約七百六十万人の飲み水として、また、都市の中のオープンスペースとして利用されている。
約三百六十年前に関宿から金杉(松伏町)の間が開削されて以来、ほぼ現在の流路を辿るようになったが、それ以前は太日川と呼ばれ、その後利根川、江戸川などと呼ばれるようになる。

(『論集 江戸川』16ページ)

この江戸川の流域一体は、かつて「葛飾郡/かつしかぐん・かつしかのこおり」とよばれていました。おおざっぱにわけると、千葉県北西部は「東葛飾」、埼玉県西部は「北葛飾」、東京の隅田川より東の低地は「南葛飾」。中心は現在の千葉県市川市の国府台(こうのだい)のあたり、つまりこの写真の、川をはさんだむこうがわにありました。標識のしたにうつっている和洋女子大学のあるあたりが国府台です。

映画やマンガの影響もあって、葛飾(区)というまちから、「下町」や「江戸っ子」などのイメージをもたれるひとも多いかもしれませんが(すんでいる人までもが、そういったイメージでとらえている場合もあります)、『男はつらいよ』シリーズの山田洋次監督もいっているように、「生まれも育ちも葛飾柴又」の寅さんが江戸っ子だというのは、うそです(産経ニュース参照 http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/080724/art0807241644000-n2.htm)。柴又はいわゆる下町ではなく、古くからにぎわう門前町です。

ネイティブカツシカンで、あのようなはぎれのよい下町ことばをはなすひとは、おそらくあまりいないとおもいます。もちろん、震災や戦災で本来の下町からうつりすんできたひとや、その家族であればべつでしょう。葛飾区にはそうした拡大した下町としての側面も、もちろんあります。ただ、それだけではないということです。

先に引用した『論集 江戸川』に「江戸川べりのことば考」という文章があり、「だんべいことば」をはじめとする、江戸川流域ではなされていたことばが紹介されています。そのなかで「それにしても江戸川の水で産湯を使ったような柴又の「寅さん」から、「いし(引用者注:「お前」の意味の葛飾方言)」も「だんべい」も聞かれないような気がするのは、仲間の土地っ子としてはいささか淋しい」(同書99ページ)とかかれているように、やはり寅さんのことば/からだは、葛飾という土地とのつながりが、非常にうすいです。

べつに『男はつらいよ』や『こち亀』にケチをつけたいわけではなく(どちらの作品もこどものころから好きでしたし)、そこでえがかれている「下町としての葛飾区」像に、そのまちでそだった人間として、なんともいえない違和感を感じ、内側からこのまちをかたりたいとおもった、というだけです。下町っていわれてるけど、そうでもなくね?てか下町ってなに?と、感じたからです。『こち亀』は、亀有のほとんどなにも、つたえていません。

もちろん、下町としての葛飾区を全否定するつもりはありません。立石(たていし)や堀切(ほりきり)など、ごちゃごちゃしていて、どこかすえたにおいのするような、いまはやりの「昭和っぽい」まちはたしかにあります。それを下町というのかもしれません(わたし自身、下町名物「もんじゃ焼き」の焼き方には一家言あります。土手をつくれるほどに具が山盛りの月島のもんじゃは、ブルジョアもんじゃです。貴族のたべものです)。ただそれは戦後の、都心部から人が移動してからできた、比較的あたらしい町のにおいです。葛飾区はそうした東京下町とのつながりだけでなく、もっとふかくふるく、かつて葛飾とよばれていた地域とのつながりがあるはずです。わたしがこのまちに感じるのは、むしろ後者のほうで、それはもっといなかくさい、下町のようにプラスな価値をあたえられていない、かっこよくはないものです。すんでいる人が、あまりあえてかたろうとはおもわないものです。郊外とよばれているものも、ふくむかもしれません。ひょっとすると、東北までふくむかもしれません。葛飾区は、葛飾は、そういうひろがりをもったイメージでとらえられることができるまちです。中途半端ってことかもしれませんが。

このサイトでは、そとからあたえられたイメージからはなれて、それにつられることなく、このまちのすがたを、ときにはマンガで、ときには文章で、内側からえがいていきたいと思っています。そのスタートとして、江戸川土手から。

追記:写真をとった土手は微妙に江戸川区なんですが、まあ、かつての葛飾一帯を代表する景色ってことで。

テスト4

machi — タグ: , , , — takahashi @ 11:45 PM

葛飾区奥戸

テスト3

machi — タグ: , , , — takahashi @ 11:39 PM

江戸川区平井

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