かつしかめも #1 

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なんでまちを歩くことが自分にとって面白いのか、また同じようにまちについて気になっていたり考えていたりするひとたちが、どういうふうにそれをことばにしたり、あるいはなんらかの形で表現しようとしているのかが気になって、図書館で「都市」「郊外」などのキーワードでひっかかる本なんかを借りては読んでいるのですが、やっぱりおもしろい本っていうのはつねに手元においておきたくて、結局アマゾンやbk1で買ってしまいます。ベンヤミンの『パサージュ論』(岩波現代文庫)もまよったけど結局全巻大人買いしてしまいました。

田中純『都市の詩学』(東京大学出版会)という本を去年のはじめごろ買ったんですが、通読するっていうよりもそのとき気になった章を中心にひろい読みする感じで、そこで引用されてる本をまた探して読んだり、ずっと「足がかり」的に使っています。ほかにもウジェーヌ・アジェ ((ドアノーは結局人がメインな感じがいまいちぴったりこなくて、やっぱりアジェです。)) 『Atget Paris』、『宮本常一写真図録 第一集 瀬戸内海の島と町』(『宮本常一写真・日記集成』は高すぎるので)、森山大道『新宿』、荒木経惟+陽子『東京は、秋』、福井伸宏「Every Sunday(http://www.nobuhiro-fukui.com/index.html)」など、まちを撮った写真が気になってしかたなくて、知ってたけど今までちゃんと見たことがなかったものもふくめて、気持ちがのっているときにおさえておこうと思っています。

ぼくの目にうつる都市は、そのままで巨大な美術館であり博物館なのだ。そうした路上には日々キリもなく生き生きと人臭いアートが充ち充ちていて、わざわざカメラでアートするまでもなく、街衢そのものがリアルな無数の作品である。

(『もうひとつの国へ』森山大道, p166)

夫■もうひとつね、新宿の御苑に向う途中に電信柱がぼんぼんとある。この写真が気に入ってんだ。
妻■電信柱が一杯あって、うっとうしいけどね〜。
夫■さえぎるものが一杯あるのが好きなんだ。この線がなぜかいいんだなあ。いいなあ。(机をたたいた)原風景だなあ。まったくあたり前なんだよ。すべてが原写真。いつも通ってる、なんでもないいつもの所を、なんでもなく撮る。それが欲しいんだよ。
妻■それなかなかできないでしょ。できないと思う。だからそういう写真見ると、すごいと思っちゃう。
夫■だいたい街が表現してるのに、それを複写すればいいのに…。
妻■自分を表現したくなっちゃう。
夫■そうじゃないと表現者とみられなくなっちゃうと思ってる。それがダメなんだよ。

(『東京は、秋』(筑摩書房版) 荒木経惟+陽子, p84)

この辺を読んでぼくも机をたたきたくなったんですが、ほんと、まちには全てがあります。視覚、聴覚、嗅覚、それぞれがばらばらに、散漫に、まちを感じて考えています。もうそのままで完璧におもしろい、だから自分からなにか表現する必要なんてなくて、ただそこにあるものを目撃するだけで十分という。まちには見たいものも見たくないものも、好きなものもきらいなものも、会いたい人も会いたくない人も、すべていっしょくたにある、本来きわめて健全な場所なんだとおもいます。きっとおもしろくないまちなんて、ないです。だからまちを歩くこと、考えることは常におもしろいんです。

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